ペプチ

コント等をしています。(Twitter: @pepuchi_yan)

美人の女子中学生が味わった絶望

中学校の頃、少しだけアゴがしゃくれていて、周囲のやんちゃな男子からいじられている女子がいた。彼女は美人な顔立ちで、しゃくれているうちに入らない程度の骨格だったし、モテていたので、男子からすれば「からかっている」程度だったのだろう。まだ中学生くらいの年齢であると、こうした残酷な仕打ちが平然と行われていた。

幸いだったのは、彼女がそれほど気にしていなかったことだ。何より、美人でモテているという自信が、いじりにビクともしない強靭な精神を育んだのだと思う。

 

その現象の蚊帳の外で、恐怖に怯える一人の男子中学生がいた。

僕だ。

 

僕は彼女よりもアゴがしゃくれている。彼女のアゴ程度で言われているのであれば、僕など一体どう思われているんだろうと、恐ろしくて仕方がなかった。僕のことは、男子同士だったからきっと言いにくかったのだろうと思う。中には、僕に「あいつのアゴしゃくれてるよな」と話しかけてくる男子までいた。そんな時僕は、内心ドキドキしながら、「そうかなぁ」などと、適当な相槌を打つことしかできなかったのである。

 

ベタなことではあるが、ある日、英語の授業で"long long ago"というフレーズが出てきたとき、教室は爆笑の渦に包まれた。例の女の子は、笑いながら「やめてよ〜」と言っていた。

こんなにも生きた心地のしない空間は初めてだった。いつバレるんだろうか、いや、もうすでにバレているのだろうかと、僕の心臓の鼓動は高鳴った。

先生もなぜ笑いが起きているのか気づいたらしく、「人の身体的な特徴を笑うのはやめなさい」と怒っていた。何よりも不幸だったのは、先生もしゃくれていたことだった。いや、たぶん、違うと思う。そういうのじゃないと思う。生徒の指導に私情を挟むことは教師たるものあってはならないことだし、たぶん、そういう気持ちで怒ったんじゃないと思う。それでも、先生の指導に説得力が欠けてしまっていたことは事実だった。

 

この教室での僕のように、しゃくれている人が「自分に白羽の矢が立つのではないか」と内心ドキドキしてしまう瞬間というものがある。中でも最もタチの悪いのが、こういう、三日月をモチーフにしたキャラクターなどが登場した時だ。

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こういう、間接的にしゃくれを匂わせてくる存在が最もおそろしい。

クッキングパパの話題が出たときなどは、かわいいものだ。「そういえばこの人…クッキングパパに似ているな…」と思われていたとしても、これはストレートを投げられて三振するようなもので、真っ向勝負で負けたのならまだ気持ちがいいものだ。

「そういえばこの人…三日月に似ているな…」と思われるのは、消える魔球を投げられて三振するような、意味の分からない敗北感を味わう。三日月は人間ですらないのに、それに似ていると思われるというのは、こちらとしても不服だし、相手のとち狂った想像力にも腹が立つというものだ。

こうした現象は、お菓子の「ばかうけ」などでも巻き起こる。しゃくれている人と一緒にいて、こうしたキャラクターに遭遇した際は、何も言わず、思わず、そっとしておいてほしい。

 

この間、その女の子からFacebookの申請が来たので承認して記事を見てみた。彼女は結婚して子どもを作り、幸せな家庭を築いていた。とてもあたたかい気持ちになった。

子どもは、しゃくれていなかった。本当によかった。