ペプチ

コント等をしています。(Twitter: @pepuchi_yan)

上から目線のおばあちゃんの話

小さい頃、母親が晩ごはんの用意をめんどくさがって、カップラーメンを家族全員で食べるみたいな日がたまにあった。当時の僕はカップラーメンが大好きで、この日を待ち望んでいたが、今考えるとよく意味の分からない日だったと思う。

 

おばあちゃんは、この日に限ってなぜかとても調子に乗る。僕のほうが絶対カップラーメンに詳しいのに、僕がカップラーメンを作ろうとしていると、作り方をわざわざ教えてきたり、「もうあんたに任せてらんないわ。おばあちゃんが作るからどいて。」などと上から目線の発言を連発し、勝手に作り始めるのであった。

僕は少し固めのほうが好きなので、3分経つ前に食べようとするのだが、おばあちゃんは、「まだ早いから待ってなさい」と頑なに3分というルールを守ろうとする。3分経って僕が蓋をあけると、おばあちゃんが近づいてきて僕のラーメンに勝手に指を入れ始め、麺を一本拾ってすすり、「うん、OK」と、通ぶるのであった。「うん、OK」じゃねえよ、と思った。3分経ったからOKもくそもねえよ、と思った。あと勝手に人のラーメンに指入れてんじゃねえと思った。

 

母親はサイズや味などいろんな種類のラーメンを買ってきてくれるので、家族は自分が食べるラーメンを自分で選べるシステムだった。僕はよく食べる子どもだったので、できるだけ大きいサイズのラーメンを選んで食べるようにしていた。

おばあちゃんは少食で、どんなに小さいラーメンを選んでも必ずと言っていいほど残した。お腹がいっぱいになると決まって僕の方を見て、「あんたいっぱい食べるんだから、これ食べていいよ。」などと再び上から目線を発動させていた。僕がお腹いっぱいなのでと断ると、「そんなんだからいつまでも弱々しい身体なんだよ」と理不尽な皮肉を浴びせてきて、食卓の雰囲気をおかしくするのであった。そうして結局誰も残りを食べてくれないことが分かると、おばあちゃんはカップラーメンにラップをして冷蔵庫に入れていた。翌朝、スープを吸い過ぎてボロボロになった麺を、電子レンジで温めて食べているおばあちゃんを見ると、なんか変な気持ちになった。

 

調子に乗るおばあちゃんに毎回腹が立つものの、結局なんかかわいそうな感じになってしまうので、いつの間にか晩ごはんにカップラーメンを食べるこの文化はなくなっていった。

 

そんなおばあちゃんが、去年、亡くなった。

いや、完全に嘘で、全然、亡くなっていない。全然、生きている。