ペプチ

コント等をしています。(Twitter: @pepuchi_yan)

ケンジさん

中学校の頃、仲の良かった友達と三人で市民プールに遊びに行った。僕たちは三人とも非常に冴えない中学生で、いつもヤンキーの先輩からパシリにされているような男たちであった。そのため、憎きヤンキーたちから離れ、こうして自由に遊べる瞬間は数少ない至福の時であった。

 

プールでしばらく遊んでいると、同い年くらいの男が「ねえ、どこ中?」と笑顔で話しかけてきた。男は、「◯◯中のケンジさん知ってる?」「ケンジさんめっちゃ喧嘩強いから、ケンジさんにだけは逆らわないほうがいいっすよ。」「俺ケンジさんとめっちゃ仲良いんだけどね。」などと意味の分からないことを僕たちに語っていた。なんか気持ちの悪い奴にからまれたなと思った僕は、適当にあしらって他の場所で遊んでいた。

 

20分ほど経って友達の姿が見当たらなかったので探しまわると、まだその男にからまれていた。どうやら男は、「自分は喧嘩の強いケンジさんと仲が良いので、自分にも逆らわないほうがいい。さあ、お金を渡せ。」という要求がしたかったらしい。お金をせびるだけなのにえらく回りくどい言い方をしたなと思ったが、まだ見ぬケンジさんに免じて何も言わなかった。ケンジさんにだけは逆らわないほうがいいから。ケンジさんは、パネェから。

 

このあたりで僕たちは、暗黙のうちに「この男を怒らせずに誰が一番多く『ケンジさん』と言えるか」というゲームを始めていた。僕たちは矢継ぎ早に「ケンジさんてすごいんすね」「やっぱケンジさんのこと尊敬してます?」「俺もケンジさんの舎弟になりてぇ〜」などと多くのフレーズを繰り出していた。さりげなく一度「ケンちゃん」と言ってみたが、バレなかった。

僕たちのヤンキーに対する底知れない悪意に男は全く気づかず、男が「ケンジさんには警察もビビってるらしいっすよ」などと口にするたび、僕たちは脇腹をつねってなんとか感情を抑え、深刻な表情をしていた。深刻な表情をすればするほど、彼は調子に乗ってケンジさんの武勇伝を語り、僕たちの恐怖心を煽ろうとするのだった。

ここで友達の一人が、「今日はこれでなんとか勘弁して下さい」と真剣な表情で10円玉を出すという一世一代の大勝負に出た。もう一人の友達を見ると、下を向き肩を震わせていた。僕もまあまあ苦しかった。

男は、「オッケ」と言って10円を受け取り、去っていった。僕が「ケンジさんにもよろしくお伝え下さい」と言うと、男はこちらを振り返り、口元だけニヤリとさせ、かっこつけて帰っていった。こんな人間にだけはならないようにしようと思った。