ペプチ

コント等をしています。(Twitter: @pepuchi_yan)

猫は人間に対してもっとキレてもいい

田舎から上京してきて、猫カフェというものがあることを知った。愉快な気持ちになれそうだなと思ったので、行くことにした。もう何年も前のことである。

 

猫カフェに入ってすぐ、店員さんに「今日は出勤の猫ちゃんがあんまりいないんですけど、大丈夫ですか?」と聞かれた。猫の存在を出勤と表現する感じ、嫌いじゃないな、いや、やっぱ、どうだろうな、と思った。入店すると、猫が4匹くらいいて、3匹くらい寝ていた。寝ている猫を起こすのは悪いので、起きているあんまりかわいくない猫をさわった。あんまり人懐っこい猫ではなかった。やむを得ないなと思ってしばらくぼーっとしていると、店員さんがやってきた。

店員さんは、さも自分が食物連鎖の頂点であるかのごとき所作で猫を手懐けていた。僕は実家で猫を飼っていたので、猫のことはなんとなく理解していたが、店員さんは、「まったく、この男、猫のこと何も知らないんだから。困るわぁ、新参者が来るとこじゃないっつーの。」とでも言いたげな目で僕と猫を交互に見て、猫の尻尾の付け根を触り始めた。猫は尻尾の付け根を触ると喜ぶのだが、これをまるで自分しか知らない秘密兵器であるかのように僕に見せつけてきて、「こうすると猫ちゃん喜ぶんですよ」と言ってきた。隣にいたカップルが、「わぁ〜!すご〜い!」と言っていた。店員さんが、「さ、お客さんも、やってみて!ほら!」みたいな目で見てきたので、僕も尻尾の付け根を触ると、店員さんは、「そうそう!上手上手〜!」と言ってきた。上手という表現はどうなんだと思った。例えば今あなたの前に巨人Aが現れて、あなたの頭をなでながら巨人Bに「ほら、こうすると喜ぶんだよ。」と教えて、真似して巨人Bが触ったところで巨人Aが「そうそう!上手上手〜!」って言ってたら腹立つだろ。自分を教育の道具に使ってんじゃねえ、とかいろいろ考えるだろ。ここまで思考を巡らせ、この例で言うと僕が巨人Bであることに気がついたので、何も言わなかった。

その後も店員さんは、お客さんと遊んでいる猫をぶんどっては、尻尾の付け根を触るというパフォーマンスを定期的にしていた。お客さんは、「すご〜い!ここ触られるの好きなんですね〜!」と喜ぶふりをするのだが、本心では「せっかく自分と遊んでいたのに」という気持ちでいっぱいのような顔をしていた。

店員さんは、寝ている猫をなでながら他のお客さんに話しかけ、「この猫ちゃん、寝てる時になでてあげると笑うんですよ〜」と言った。話しかけられたお客さんは、「ほんとだ、気持ちよさそうに笑ってる〜」と返した。笑ってるように見えるだけなので、それを気持ちよさそうと思うのは人間のエゴだろうと思った。これも巨人のパターンでいけるやつだぞと思った。

こんなことを考え始めると、自分が今この場にいることさえとてもエゴイスティックな気がしてきて、いてもたってもいられず店を出た。

実家の猫は、おととしくらいに完全に死んだ。