生きてて楽しかった人へ
僕は今思うとかなり痛い中学生だったので、文化祭の時、自分で何かしらの出店ができるのではないかと考えた。
野球部だった僕は、当時流行っていた「ストラックアウト」という、野球ボールで行う的当てのような遊びを一人で提供することにした。今考えれば、ヤンキーばかりの田舎の中学校で、一人で出し物をするなど自殺行為であったが、当時の僕はかなり痛かったので、何も気にならなかった。
ストラックアウトに使用する3×3の的は、自作することにした。父親が手伝ってくれたので、かなり精巧な木製の的を作ることができた。父親も嬉しそうにしていた。
文化祭当日、僕はかなりホクホク顔で的を学校に持って行き、野球のグラウンドでお客さんを待った。
はじめは小さい男の子が挑戦してくれた。平和なものだった。僕は、まあ、あんま楽しくねえなと思った。出店する側は楽しいもんじゃねえなと気づいた。男の子が楽しそうにすればするほど、僕の気持ちは冷めていった。
そのあと、あまり話したことのない先生が、情けをかけるような雰囲気で遊びに来てくれた。先生は楽しんでいるような顔をしてくれていた。大人が一人で楽しそうにストラックアウトをしているさまを黙って見守るのは、僕もわりときつかった。僕は、「この時間、誰も得してねえな」と思った。先生は、「けっこう、難しいな」と言って一人で笑いながら、ストラックアウトをしていた。先生は一人で、ずっと笑っていた。
それでもこの時はまだとても平和であった。日本は、平和だと実感した。しかし、幸せは長くは続かないもので、何かやっているようだと嗅ぎつけたヤンキー達が、じりじりとこちらへ近づいてきたのだった。
ヤンキー達は、ストラックアウトに挑戦してくれた。彼らは、楽しそうに、的にボールを投げていた。さきほどの男の子や先生の時とは対照的に、僕は、ヤンキーさんたちに認められたようでどこか嬉しかった。ヤンキーさんたちの投げるボールが、たとえ、徐々に、徐々に、勢いが強くなっていても、微塵も気にならなかった。
徐々に、徐々に、ボールは勢いを増していた。
同時に木製の的が軋んでいく音などは、少しも耳に入ってこなかった。
彼らは、ボールを投げることそれ自体が楽しくなってしまっていたようで、猿のように楽しげに快楽に身を委ねていた。
そしてついに、宴の終焉は訪れた。
的の一部が、割れてしまった。
ヤンキーの一人が、少し焦った顔をした。「もう、これ、いいでしょ?」と僕に聞いてきた。
僕は、笑顔で、「もう、それ、いいんじゃないですか?」と言った。
それを合図に、ヤンキーが一斉にボールを的めがけて掃射し始め、的は完全に大破した。最後のほうは完全に壊しにかかっていた。父親の顔が、一瞬だけ浮かんだ。
僕はボロボロになった的を教室に持って帰り、普通に文化祭を楽しんできたクラスメイトを横目に、「いや〜、盛り上がったなぁ」と独り言を言った。