ペプチ

コント等をしています。(Twitter: @pepuchi_yan)

下劣な話なので家柄の良い方はみないでください

この間映画を観に行った。

映画館に行くまでの道のりで、僕が汗だくで階段を登っている横をカップルが涼しい顔してエスカレーターで登って行ったので、モテない僕は「僕とお前らの違いを比喩っぽく表現してくるのやめろ」と思った。

 

映画館について、お腹の調子が悪くなったので、トイレに入った。チャラついた大学生のような人たちが話しながら用をたしているのを横目に、僕は個室に入った。僕がブリブリと音を立ててクソをしていると、外でチャラついた大学生たちが、これを聞いてクスクスと笑っているのが分かった。

いや、いまさら個室の物音に一喜一憂するのはやめようぞ、と思った。確かに個室の外の者は中の者よりもヒエラルキーの上位に君臨していることは間違いないだろう。中の者は恥を晒していることには違いはないのだから。だが、いまさら一喜一憂する空気を作ったところでなんになる?全員が生きづらくなるだけではないか。それよりも、皆が広い心を持ち、個室の物音を皆が受け入れるような世界になったほうが、よっぽど生産性があるではないか、と僕は思う。ここで生産されるのはクソであるとはいえ。

僕は、自分が個室の外にいるときも、この心を持つようにしている。個室の中の者がブリブリと音を立てた時には、必ず屁で返答するようにし(アンサー屁)、「私もあなたも恥を晒した。さあ、安心して用をたしなさい。私とあなたは心でつながっているのだから。」と心のなかで呼びかけることを忘れない。大学生たちも、こうした精神を持つようになってくれれば、もっと世界が平和になるのに、と思った。

 

トイレを出て、劇場版名探偵コナンを観たが、このエピソードと同じようなメッセージが込められていて、とてもおもしろかった。